【無職シリーズその2】リアル無職の職歴
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どーーも!!ホシナです!!
無計画に初めてみたこの『無職シリーズ』。
2回目となる今回は『職歴』。
今はこんなワタシでも、会社員として働いていた時期もありました。
という事で、ワタシがこれまでどんなところで働いてきたのかを書いてみたいと思います。
前回は『リアル無職ができるまで』と題して、ワタシの生い立ちを書きました。
その記事はコチラ!!
まだお読みじゃない方はコチラからどうぞ。
相変わらず何の役にも立たない記事ですが、お暇な方はお付き合いください。
最初の会社
前回の記事でも書きましたが、高校在学時から夢を持っておりました。
当時のワタシ、その夢は『都会じゃないと叶えられない』と思っていたんですよね。
なので「こっちで2年間お金を貯めて、二十歳になったら東京へいく」という目標を立てます。
高校を卒業してしばらく。
家からほど近い紡績工場に就職します。
この時は「2年限定だから何でもいいや」という気持ちでいました。
紡績業ってどこでもそうなのかもしれませんが、7割が女性。
ましてや10代の男はまず選ばない会社でした。
ここは1年ちょいでヤメてしまうんですが、さほど特筆する事もないので割愛します。
2回目の就職
一気に時は流れて24才。
地元でがんばったものの、バンドは解散。
それから1年ほどアルバイトで過ごしていたんですが、周りの目も気になりだして仕事を探します。
幸いまだ若かったので、贅沢を言わなければたくさんありました。
しかし結果的にハズレを引きます。
入った所は10人ちょいの小さな運搬業。
簡単に言うと『町のゴミ収集屋さん』です。
最初は作業員として。途中から運転手として勤める事になります。
何の資格も経験も無いですし、労働条件が悪い事は仕方ないと思っていました。
しかし問題はそこではなく、劣悪な人間関係にあったのです。
隙あらば他人を貶めようとし、とにかく足を引っ張りあうような体系。
その方たちに板挟みにされ、毎日双方から愚痴を聞かされ、トラブルに巻き込まれ。
必ずツーマンセルで仕事をするので逃げ場も無く。
誰の味方もしたくないのに、どちらかの派閥の文句を毎日聞かされ、精神的にヤラれました。
いい人もいたのですが、さすがにムリ。
4年耐えましたが、最後はバックレに近いカタチでヤメました。
3回目の就職
またも1年くらいアルバイトで食いつないでいましたが、30才も過ぎて焦りが・・・。
バイトしてたのはチェーンの飲食店でして「社員にならないか?」と打診を受けます。
本気で悩みましたが、転勤もあるしヤメておきました。
かわりに、当時一緒にバイトしてた方がおススメしてくれた会社に就職。
地元ではそこそこ大きな会社で、そこの配達部門で働く事になりました。
ここも前の会社に勝るとも劣らない労働環境。
しかし人間関係は良好で、上司や先輩もとてもよくしてくれました。
『働きやすさ』という意味では過去に経験したどこよりもよかったと思います。
しかしこの会社はこの会社で別の問題が。
どうもワタシが入社した年に大規模な経営改革があったようなのです。
その関係で別会社の人間がコチラに来たり、逆にワタシ達15人の配達部門が別会社に転籍になったり。
これによって経営陣と従業員との間に軋轢が生じます。
ワタシは入社間もなくて愛着も何も無かったのですが、古参からすれば相当におもしろくなかったよう。
この騒動は、ワタシが働いていた丸2年続きます。
が、最終的に元鞘。
そっくりそのまま元通りになる。という事で決着。
元に戻るに際して、被害を被った15人全員に、専務との個人面談という場が用意されます。
他の社員は、全員そのまま元鞘に収まる事で納得。
しかし、そんな騒動と仕事の内容に辟易としてたワタシは
「今よりいい条件で迎えてくれるなら」
と条件を出しましたが、「それは飲めない」と言われたので「じゃあヤメます」とその場で言ったのでした。
ひっくるめると2年半いましたが、最初の約束と違い、昇給は1度も無し。
賞与も1年目は納得しましたが、2年目は話が違ってきました。
しかしそれよりも
「これっぽっちの金しかもらえないのに、盆も正月もGWも休みなく働くのアホらしいわ」
となり2018年の8月いっぱいで退社。
これが現在のワタシの最終職歴となっております。
まとめ
これがざっくりとしたワタシの職歴です。
周りの人間から
「なんでわざわざしんどくて、金にもならない仕事ばっか選ぶの??」
と、よく言われました。
自分でもそう思います(笑)
ですが、その時その時で色々考えて「これ以上無い!!」と思って選んでるんですよね。
まぁヤメてるって事は、それが失敗だったという事なんでしょうけど(泣)
長々読んでくださり、ありがとうございました。
応援よろしくお願いします(*´з`)
ではまた('ω')ノ